ばさり、と。羽が舞った。
 沈みゆく夕陽のような赤と、燦々と輝く太陽のような金色の尾羽が翻り、佇む男の横へと舞い降りた。
 ふっと彼は己のパートナーに笑いかける。長めの前髪の下から優しげに細められた瞳。色は漆黒、髪の色と同じ。――その純日本な色合いは、彼が身につける和装によく映えた。
 まだ幼さの残る顔立ちではあるが、戦闘中の彼の表情は凛々しく、誰もがはっとするようなものだった。
 そんな表情で真っ直ぐに見据えるだけで、挑戦者は気後れした。
 彼のパートナー・・・ピジョットとのコンビネーションも目を見張るばかりのもので。声に出さなくてもしっかり通じ合い、信頼しあい。一心同体、などという表現は下手なものではあるが、まさにそれ。
 風、という表現が一番しっくりきた。彼の戦いはまるで、フィールド上の風が全て、彼に味方したかのようだったから。
 一つ一つの空気の流れが。彼と、ピジョットを中心にして渦巻いていたその様。――それだけで、十分すぎるほどに、彼の実力は見て取れた。
 うなだれて、先ほどまで彼と戦っていた男は、フィールドに倒れている彼のポケモン――オオタチをボールに戻し。
 男が再び先ほどまで向かい合っていた相手に。キキョウシティジムリーダー――ハヤトに、視線を戻すと。
「―――いい試合だったよ。ありがとう。」
 先ほどまでの迫力は何処へ、と疑問に思うくらいの微笑みだった。
 ハヤトが右手を差し出す。 やわらかな笑顔。例えるなら優しい、春の風。彼がまだほんの少年である事を、やっと思い起こさせるような。
 彼は先日、父親の跡をついでジムリーダーに就任したばかりだ。
実力があって、誠実で、真面目で。文句無しの合格。
 『華麗なる鳥ポケモン使い』。看板に書かれた異称は決して誇張などでは無い、と身をもって経験した男は、苦笑してその右手を握る。
「・・・ええ、こちらこそ。」
 言葉に含まれるのは、悔しさではなくて喜びだ。
己の町の新しいジムリーダーに、確かな器を見つけての。
 
 願わくば、まだ年若い彼によき理解者あれ、と。


「・・・・やれやれ。」
 ふう、とためいきをつくと、ピジョットが首をかしげてハヤトを見やる。今日もありがとうな、と微笑いかけると、顔を彼の頬に寄せてすりつけてきて、ハヤトはくすぐったそうに笑う。
 彼の父親は、今はジムリーダーを辞めて旅に出ている。――このピジョットは、その父親から譲り受けた大事なパートナーだ。
 ジムの奥に設けられた彼の部屋。部屋の隅に設置されたベットに腰掛けて。
「今日もまた忙しかったなぁ。」
 父親の後についでジムリーダーに就任したとはいえ、彼はまだそれほど経験が豊富なわけではない。戦闘に次ぐ戦闘は、まだ不慣れな彼にとっては、精神力と集中力がすり減らされていく結構過酷な労働でもあった。
 片手でピジョットの羽を撫でながらちらりと窓の外に目をやる。
―――暗い。今は何時だろう。
 町の近くの塔の窓から光がちらちらと漏れている他は、家々も寝静まっていた。街灯がほとんど無いため――町の近くに生息するホーホーの生活を邪魔しないためらしい――見えるのは綺麗な、澄んだ星空。
 きらきらと瞬く星々が、大きな銀色の川を描いている。
「ちょっと出かけてみるか?ピジョット。」
 言うと、きょとんとピジョットが視線を向けてくる。笑いかけると、返事をするように翼を軽く広げ、閉じる。
 疲労は確かにある。だが、睡眠自体は挑戦者が途切れた時間に軽くとっていた故に、眠気は無かった。だから眠ったりするよりもよほど、澄みきった星空を、高い、高い所で眺めてみたほうが、きれいに疲れがとぶような気がした。
 ベッドから立ち上がって、窓を大きく開け放つと、冷たい夜風が吹き込んできて、彼は小さく身震いをする。
 ふわり、と彼が飛び乗ると、ピジョットはその翼を大きく広げ、羽ばたく。風がおこり、部屋のカーテンが舞い上がった。羽根が舞う。
 部屋の窓から飛び立つのは慣れたもの。大きな翼を窓枠に引っ掛けないための技術も、身をかがめるタイミングも。――幼い頃、こっそり部屋から抜け出すたびに、学んだものだ。
 窓から飛び出し、気流に乗るともう翼をはばたかせる必要も無い。真っ直ぐに。空に向かって飛行する。
 綺麗な夜空だった。身にあたる夜風が心地良い。全ての風に身を任せて目を閉じると、それだけで疲れが癒えていくような気がした。
 ――その疲れが何から来るものか。本当はそれは、わかっているつもりだ。 
『――父上の跡を継いで。ジムリーダーになって。トレーナー達の挑戦を受けて。まだ、負け無し。』
 それでもまだ、自分に自信が持ちきれないのは何故だ?
 鳥使い。迷い無き、真っ直ぐな、風。自分の父親。
「こんなに若いのに、と褒められるが・・・・」
 苦笑する。別に大した年齢では無いだろう。年功序列など関係ないのがジムリーダーの制度だ。実力さえあれば、たとえ十代でも・・・・いや、十代に達していなくてもリーダーに任じられることもあるのだから。
 風。だが、戦っても戦っても。ジムリーダーとしての自信も、自覚も持てず、迷いを持ったままの自分は。
 自分の実力に自信が無いわけでは無い。だが。


―――父親が座っていた場所に、果たしてこんな自分が居ていいのか、と。

 瞑っていた目を開けると、飛び込んでくるのは銀色の星空に街の光。少々古びた感じの町並みに、今飛んでいるのはエンジュシティ上空か、と結論付ける。
 ふと。何かが動くのが見えた気がした。
「・・・・・・?」
 首を動かしたハヤトを察して、ピジョットがその場に停まる。辺りを見回すが、それらしいものは無い。
 と、目に飛び込んできたのは。
「スズの、塔・・・・・」
 伝説の鳥ポケモンが舞い降りるといわれる塔。もう一つ、現在では『やけた塔』と呼ばれている塔と対であったはずの、神々しい、高く、高く聳え立つ塔。
 その、一番上の屋根に見える小さな人影。
 奇妙に思い、軽くピジョットに合図する。バサッ、と翼が鳴る。体が斜めに傾いて。
 真っ直ぐに、その人影に向かって降下していった。


「よっ。」
 その人物は、突如舞い降りてきたピジョットに身じろぎもしなかった。寝転んでいた体を持ち上げ、片手をあげてハヤトに挨拶する。
 ハヤトより2、3は年上だろうか。頭に巻かれた青いバンダナ。
肩までの金色の髪。やや垂れ気味のライトブルーの瞳は何処か妙で、飄々とした空気を持ちながら、全てを見透かすような光を放っている。
「こりゃ、珍しい客だな。
 ・・・・キキョウシティジムリーダー、ハヤト、だろ?」
「あ、ああ。」
 スズの塔の屋根の上。とんでもない高さなのに危なげなく腰掛て、立てた己の膝の上に軽く肘をついてこちらを見上げ、尋ねてくる。
 ハヤトがお前は?と聞き返そうとする前に、男は言葉を続けた。
「見えてた、もんでな。」
「?」
 悪戯っぽい笑み。疑問符を浮かべる彼の胸元を指差して。
「ウイングバッジ。それも、極めて新しいもの。新しく就任したジムリーダーだからこそ持っているもの、だろ?
 そこに加えてここまでよく鍛えられたピジョットだ。一介のトレーナーが連れてるようなものじゃない。」
 その説明に腑に落ちない表情のハヤトを尻目に、ピジョットの頭を撫でる。手馴れたその扱いに、気持ちよさそうにピジョットが目を閉じる。
 ハヤトはあたりを見回した。広がるのは夜景と星空と。
こんな所で何を、と疑問になりながら、男から少し離れた場所に腰掛けた。――高い所は嫌いではない。
 星達が奏でる音楽と、どこまでも広がる漆黒の世界。空の彼方で微笑む月に。
「つれないなぁ。」
「・・・・・は?」
 沈黙を破り、ふいに発された言葉に間抜けな声を出す。飄々とした蒼い瞳が、笑いながらこちらを見ていた。
「こんな綺麗な夜空から舞い降りてきた美人は、こんな屋根の上に
 座っていた妙な男に警戒して、隣にも座ってくれないときた。」
「・・・俺も男だけど。」
「たとえ男でも美人は美人。」
 彼に言われてハヤトは唖然とする。なんだったら口説いてやろうか、などとふざけた事を言われて、半眼になって飛び去りかけるとまぁ待て待て、と呼び止められた。
「『待ち人』の代わりに舞い降りてきてくれたんだ。
 少しくらい相手してくれても良いじゃないか?」
「・・・・『待ち人』?」
「そう、『待ち人』。」
 頷く男の瞳に覗く光。その言葉に改めてその場所を見渡す。スズの塔。高い高い、屋根の上。昔雨上りの空にかかった掛け橋の一端が、この塔の上にかかっている光景を、ふいに思い出した。
「・・・・・・虹色の鳥。」
 呟くと、男は返答も頷きもしなかった。ただその蒼い瞳でじっと前を見つめている。――すべてを見透かすような、目だと。
 虹色の鳥。ホウオウ。スズの塔に舞い降りると言う伝説の。
本当に、実力のあるトレーナーにしか姿を見せない。
遠い昔に、人間に愛想をつかして飛び去った美しい。
七色に輝く翼で、虹の橋を描きながら空を羽ばたく、大きな鳥―――
「――もう少し。もう少しで、会える様な気がする。」
 無意識で発せられた言葉のようだった。ぐっと、拳を握り締めるようにして。 もどかしそうに。
 きっと彼はずっと待ち続けているのだろう。一度――― 一度。何時か。自分が子焦がれる存在に合い間見えることのできる日を。
 それはきっと遠い夢。だけど――遠く見えないそれを追い続けて。
「――でもまだ、足りない。」
 悔しそうな口調。まだ、力が。修行が足りない。相当の実力者のようにみえるその男の言葉に、少々意外さを覚えながら。
 ピジョットの背中から再びおりる。透かすようにして空を見上げるその男。
「まぁ、それでも。」
 金色の髪が風に揺れる。銀色の月明かりに照らされた横顔。蒼い、蒼い。不思議な瞳。口の端を持ち上げて。
 星達の音楽が鳴り響く中。見えない虹を見るために空を見上げる。
 夜の闇の中に居ながら闇に溶け込まない、強さ―――

「精進あるのみ、だ。」

 な、とハヤトを見て男は笑った。
 まるで己の中の自信の無さを見透かされたような印象。
 それでも、嫌な感じはなかった。
 真っ直ぐな風に焦がれる。
 七色の虹に焦がれる。
 どんな道に居ても、結局は。
「・・・そうだな。」
 涼しく優しい、夜の風。
 ふわりと舞い上がった前髪の下から覗くのは微笑み。
 今は自分の力に自信を持ちきれなくても。
 今はまだあの座に座ることに戸惑いを持っていても。
 いつかは。――いつかは、自分も追いつく。


 あの。誰よりも強い、『風』に。




 ―――数日後。
 すっかり遅れていた、キキョウシティの新しいジムリーダーの正式な紹介が行われた。
 チャンピオン、ワタルの計らいだったらしい。遅くなってすまなかったなとハヤトに笑いかけた彼は、なにやらしばらくある事の調査のためにジョウト中を駆け回っていたらしく。
 だが何に一番ハヤトが驚いたか、というと。
「エンジュシティジムリーダー、ゴーストポケモン使い、マツバ。
 『千里眼を持つ修験者』なんて異称も持ってる。よろしくな。」
 相変わらずの飄々とした仕草で右手を差し出してきた、あの、男。
――『千里眼』。見えないものを見るという実力者の話は彼自身も昔うわさで聞いたことがあり。
 唖然として硬直する彼を見て、男は――マツバは口の端を持ち上げ。
「――ほら。」
 言われて。差し出した手を見て。――ゆっくりと、握る。



「よろしく。」




***
友人から貰ったマツハヤ小説。
凄い出来です。まとまりもいいし。さすが文章書きさん!管理人大絶賛です。
色の表現とか情景描写は秀逸。
マツバのキャラがいいのよねぇ。ゴールデンボーイズマツバですね!多分!
素敵な小説どうもありがとう!!

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